
「八雲(やくも)町」は、北海道南西部、渡島半島のほぼ中央にあります。
太平洋側の八雲地域と日本海側の熊石地域にまたがる、全国でも珍しい太平洋と日本海二つの海を持つ町です。
八雲町の太平洋側は、室蘭市地球岬と茅部郡砂原町砂埼を結ぶ線で区切られる「内浦湾(噴火湾)」に面しています。
周囲に活火山が多く、18世紀末に英国の探検家が「Volcano Bay(噴火湾)」と呼んだことが由来とされています。
湾の周辺には駒ヶ岳、有珠山、羊蹄山などの活火山がそびえています。
八雲町は、早くからアイヌコタンとして開け、奥地はクマやオオカミの住む深い森でした。
アイヌ語では、「ユーラッペツ」(温泉の流れる川)と呼ばれていました。
享和(きょうわ)元年(1801年)に、山越(やまこし)に検察所が設けられ、それ以降漁業を営む人が定住しました。
明治維新以降には、函館開拓使の出張所が設けられ、旧尾張藩主・徳川慶勝(よしかつ)公が家臣に職を与えるためユーラップ原野の払い下げを受けて開墾したのが、開拓の始まりです。
それ以来北渡島の政治、経済、文化の中心地として発展してきました。
八雲(やくも)という地名は、古事記にある歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」にちなんで徳川慶勝(よしかつ)公が明治14年(1881年)名付けたものです。
明治の頃から牛が飼育されていた八雲町は、酪農が盛んです。
また、軟白ネギやもち米の産地としても知られ、その他にもたくさんの農産物が作られています。
海の幸も豊富で八雲地域ではホタテや鮭、熊石地域ではアワビやウニをはじめとする海産物の宝庫としても知られ、近年サーモンの養殖もおこなわれています。
町内には、温泉や観光スポットもたくさんあります。
2030年度末には、北海道新幹線延伸にともない、新八雲駅が開業予定で函館、札幌へのアクセスがより便利になりますのでさらに注目度が上がりそうです。
この記事では、八雲町の観光スポットや小泉八雲、八雲が発祥地の「木彫り熊」についてご紹介します。
また、八雲観光に便利なお宿もあわせてお届けします。
八雲町の人気観光スポット「黒岩奇岩」

八雲町には、たくさんの魅力的な観光スポットがあります。
噴火湾パノラマパークは絶景の丘陵で遊べる大型公園
●噴火湾パノラマパーク
噴火湾を見渡すゆるやかな丘陵地にあり、アウトドアレクリェーションを楽しめる公園として人気です。
梅村庭園は北海道では貴重な本格和風庭園
●梅村庭園
八雲町指定文化財で、北海道では珍しい池泉回遊式の本格的和風庭園です。
築山や枯れ山水、当時では珍しいコンクリートでできた灯籠も配置されていて四季折々の景観が楽しめます。
山越内関所跡とJR山越駅は歴史を感じる最北の関所跡
●山越内関所跡とJR山越駅
山越内関所は、日本最北の関所として江戸時代に建てられました。
アイヌ民族と和人の居住の境界として重要な場所でした。
旅人には、北方警備の厳しい時代でしたから、ここで検問を受け旅を続けたそうです。
現在のJR山越駅は、文久元(1861)年に廃止された関所をイメージして建てられています。
黒岩奇岩はアイヌの伝承が宿るミステリアスな景観
●その中でも観光客の目を引くのは、「黒岩奇岩」でしょう。
左手に太平洋を見ながら函館市に進むと、八雲町黒岩で突然現れる黒々とした岩。
この「黒岩」は、アイヌ語で「クンネシュマ」(黒い岩)が語源で、黒い岩礁が海上に突出しているところから名づけられました。
この黒い岩は、松前とアイヌ民族との戦いの歴史の中にしばしば登場します。
康正2年(1456年)銭亀沢(ぜにかめざわ)辺りでアイヌの青年が和人の鍛冶屋に小刀を頼み、できた小刀が切れる切れないで鍛冶屋がアイヌの青年を殺してしまいました。
それまで和人の権力でおさえつけられていたアイヌの人たちが、次々と乱をおこし北海道の歴史史上残るシャクシャインの乱やコシャマインの乱、また国後の乱とつながったのです。
長禄元年(1457年)コシャマインが、武田信広にうたれて蝦夷地平定の基礎が築かれるまで、現在の八雲町の国縫や黒岩のあたりが当時の激戦地だったといわれています。
その戦いのとき、手勢僅か十数名でこの黒岩にこもっていたコシャマインは、敵が海から攻めて来るのを知り一計を巡らせました。
黒岩に松明をたくさん焚き敵を迎えました。
夜ひそかに船を寄せてきた敵は、海岸を埋めたおびただしい松明と、黒々とした人の山を見て、これは敵わぬと逃げ帰ったといわれています。
闇の中から光る松明とあの黒い岩を見てたくさんの軍勢が待ち構えていると思ったのでしょう。
このためアイヌたちは、コタンを守ってくれる「シュマカムイ(石神)」として崇拝し、イナウ(木幣)を祭って礼拝したといいます。
岩の上には、大正天皇の即位を記念して大正4年に建てられた石碑があります。
八雲町と小泉八雲の不思議なつながり
朝の連続小説「ばけばけ」で注目される「小泉八雲」ですが、実は八雲町を訪れたことはありません。
とはいえ、名前の由来には共通点があります。
どちらも古事記の歌
「八雲立つ…」から付けられたものです。
小泉八雲は、本名をラフカディオ・ハーンといい、1850年ギリシャで生まれたアイルランド人(英国籍)です。
アメリカでジャーナリストとして働き、明治23年(1890年)に松江に英語教師として来日しました。
その後、熊本五高、東京帝国大学、早稲田大学でも教鞭をとりました。
明治29年(1896年)に、小泉セツと結婚しまし日本に帰化したのです。
この時から小泉八雲を名乗ります。
「八雲」とは、「幾重にも重なる雲」を意味しています。
「出雲」の枕詞でもあり、日本への深い敬愛と松江での生活にちなんだ日本的な名前で、妻セツの故郷である松江(出雲国)への縁から、この名前を付けたようです。
代表作『知られぬ日本の面影』『怪談』など、日本の古来の文化を記した著作は30作にも及び、世界に日本文化を発信したのです。
『怪談』には「雪女」「耳なし芳一」などが書かれ、誰もが知る不朽の名作として今も世界中で読み継がれています。
明治37年(1904年)9月26日心臓発作で54歳の生涯を閉じました。
八雲町は木彫り熊発祥の地・スイスから始まった100年の歴史

北海道を観光して買うお土産には、いろいろあります。
その中の一つに「木彫り熊」があります。
私が現役のころは、どのお客様も必ず一人で何頭もお買い求めでした。
お土産用に掘られた「木彫り熊」は、この八雲町が発祥です。
大正10年(1921年)旧徳川農場主「徳川義親(よしちか)」は、スイスを旅行しました。
アルプスを望む田舎の土産店で、着色した木彫りの熊や熊をあしらった糸巻きなどの民芸品を見かけました。
「農民が冬の内職に作った。」という店主の説明を聞いた時、義親(よしちか)は、自分が農場を経営している八雲の農民たちにも、こうした民芸品が作れないかと早速10数点を買い込みました。
翌年3月、熊撃ちのため東京から八雲を訪れた義親(よしちか)は、農民たちの前にスイスで購入した民芸品を並べて「熊ならよく知っているから作れるだろう、出来上がったら全部私が買い取る。毛のところはホラこうやればいいんだ。」手ごろな木片に、古いこうもり傘の骨で細い線を何条か彫って見せました。
士族出身の伊藤政雄さんがその熊を自宅に持ち帰り、見よう見まねでそっくりなものを彫り上げたのです。
全長約10センチ民芸品としての木彫り第一号です。
その後「熊彫り講習会」が開かれ、数年後には「農民美術研究会」を結成。スイス熊の模倣から、日本独自のデザインの子熊のオーケストラや熊の浮彫がある筆立てなどへと進化し、東京でも販売されるほどになります。
平成26年(2014年)には、木彫り熊の歴史や文化を伝える「木彫り熊資料館」が開館しました。
スイスの木彫り熊と、北海道第一号の木彫り熊が展示され、100年の歴史をたどることができます。
八雲だけでなく道内各地の木彫り熊も展示されていて、木彫り熊について広く知ることができます。
令和6年(2024年)、八雲の木彫り熊はついに100周年を迎えました。
八雲町観光に便利なお宿情報
パシフィック温泉ホテル 清龍園
広々とした庭園に造られた露天風呂と八雲町の地の食材を使ったお料理が人気です。
温泉は、地下120mから98℃という熱さで自噴ています。
源泉温度が高いため加水による温度調節を行うことがありますが、成分総計は7.200g/kgと極めて濃厚な温泉です。
泉質はナトリウム塩化物・硫酸塩泉で、身体をポカポカと暖める作用があります。
神経痛、リュウマチ、五十肩、冷え性、胃腸病、婦人病などに効能が期待されています。
肌にも良く、美人湯として知られています。
広々とした庭園風の露天風呂が四季折々の空気を感じさせてくれます。
たっぷりと自噴するかけ流しの温泉に手足を伸ばしてゆっくりつかり日頃の疲れを癒したいですね。
人気の温泉は、こちらからご覧ください。
丁寧に細かな部分にまで気を配られた一品一品が、料理長のこだわりです。
味も見た目も美しい、四季折々の料理を楽しみに宿泊する方もたくさんいらっしゃいます。「パシフィック温泉ホテル清龍園」のお料理は、こちらでお楽しみください。
熊石ひらたない荘
「熊石ひらたない荘」は、あわびの里として知られる八雲町の日本海側熊石にあります。
もちろん様々な方法で調理されたあわびが人気のお宿です。
人気のお料理はこちらからご覧いただけます。
あわびフルコース贅沢あわびづくし!のプランもありアワビ好きにはたまらないお宿です。
あわびが6品もついているのにリーズナブルなプランはこちらからご覧ください。
八雲温泉 おぼこ荘
雄鉾(おぼこ)岳の麓に、自然豊かな温泉地「八雲温泉おぼこ荘」があります。
松前藩時代に温泉が噴き出したのが始まりと言われています。
泉質は2種類です。
内風呂は柔らかいお湯が「美人の湯」として名高く心地よい温もりが体を包み込みます。
大露天風呂は鉄分の多いよくあたたまる黄土色のお湯が満ちています。
露天風呂から眺める深緑と川のせせらぎは心を癒し、茶褐色の湯は疲れた体を癒します。
静寂の中、お天気の良い日は満点の星空中ゆったりとした時が流れます。
「おぼこの湯」と名付けられた温泉は、こちらでご覧いただけます。
「八雲温泉おぼこ荘」は、八雲町と旧熊石町のちょうど中央に位置しています。
「八雲温泉おぼこ荘」のは、「(有)平田鮮魚店」が経営しています。
魚屋さん経営の宿ですから、もちろん魚介類は新鮮でおいしいものが提供されます。
漁協から毎朝直接仕入れて、丁寧に作られたお料理は、大変人気があります。
自慢の幸が並ぶお料理はこちらからご覧ください。
まとめ|歴史・自然・文化がぎゅっと詰まった八雲町へ出かけよう
「八雲(やくも)町」は、北海道南西部、渡島半島のほぼ中央にあります。
太平洋側の八雲地域と日本海側の熊石地域にまたがる、全国でも珍しい太平洋と日本海二つの海を持つ町です。
八雲町は、早くからアイヌコタンとして開け、奥地はクマやオオカミの住む深い森でした。
アイヌ語では、「ユーラッペツ」(温泉の流れる川)と呼ばれていました。享和(きょうわ)元年(1801年)に、山越(やまこし)に検察所が設けられ、それ以降漁業を営む人が定住しました。
八雲(やくも)という地名は、古事記にある歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣つくる その八重垣を」にちなんで名付けたものです。
八雲町には、●噴火湾パノラマパーク●山越内関所跡とJR山越駅●黒岩奇岩などの人気観光スポットがあります。
その中でも観光客の目を引くのは、「黒岩奇岩」でしょう。
この「黒岩」は、アイヌ語で「クンネシュマ」(黒い岩)が語源で、黒い岩礁が海上に突出しているところから名づけられました。
この黒い岩は、松前とアイヌ民族との戦いの歴史の中にしばしば登場します。
名前が同じ「小泉八雲」ですが、実は八雲町を訪れたことはありません。
とはいえ、名前の由来には共通点があります。
どちらも古事記の歌「八雲立つ…」から付けられたものです。
本名をラフカディオ・ハーンといい、1850年ギリシャで生まれました。アメリカでジャーナリストとして働き、明治23年(1890年)に松江に英語教師として来日しその後、熊本五高、東京帝国大学、早稲田大学でも教鞭をとりました。
明治29年(1896年)に、小泉セツと結婚しまし日本に帰化し小泉八雲を名乗ります。
代表作『知られぬ日本の面影』『怪談』など、日本の古来の文化を記した著作は30作にも及び、世界に日本文化を発信したのです。
北海道を観光のお土産として人気の「木彫り熊」。お土産用に掘られた「木彫り熊」は、八雲町が発祥です。
大正10年(1921年)旧徳川農場主「徳川義親(よしちか)」は、スイスを旅行し
アルプスを望む田舎の土産店で、着色した木彫りの熊や熊をあしらった糸巻きなどの民芸品が「農民が冬の内職に作った。」と知り、自分が農場を経営している八雲の農民たちにも、こうした民芸品が作れないかと早速10数点を買いました。
農民たちにスイスで購入した民芸品を見せ士族出身の伊藤政雄さんが、見よう見まねでそっくりなものを彫り上げたのです。
全長約10センチ民芸品としての木彫り第一号です。
その後「熊彫り講習会」が開かれたり「農民美術研究会」が結成されたり。
スイス熊の模倣から、日本独自のデザインの子熊のオーケストラや熊の浮彫がある筆立てなどへと進化し、東京でも販売されるほどになります。
平成26年(2014年)には、木彫り熊の歴史や文化を伝える「木彫り熊資料館」が開館しました。
スイスの木彫り熊と、北海道第一号の木彫り熊が展示され、初めての製作から100年を迎えた歴史をたどることができます。
ご紹介したように八雲町には、観光スポットもたくさんあります。
また、お土産用の熊の木彫りの名産地として100年の歴史を刻みその技術を伝えてきました。
名前の由来に共通点をもつ八雲町と小泉八雲の関係も妙に心をひきつけます。
観光の折には、町内にあるお宿でゆっくりと温泉につかり、太平洋と日本海2つの海に面した特産の海産物や酪農製品、農産物をいただき日頃の疲れをいやしてください。
木彫り熊資料館で最初に彫られた木彫り熊1号を見たり、木彫りの歴史をたどるのも楽しいですね。
ぜひ一度八雲町に足を延ばしてみてください。





