

今回は、定山渓温泉の開祖、美泉定山と定山渓のカッパ伝説をご案内いたします。
さて、そろそろ出発のお時間でございます。
準備が出来ましたらご案内してまいります。
発車オーライ!!
定山渓温泉の開祖 美泉定山
札幌の奥座敷、定山渓温泉でございます。
定山渓温泉は、豊平川のほとりに開けた温泉で、札幌より約26キロ車で1時間程の所にございます。
この温泉の歴史は古く、安政5年(1858年)松浦武四郎が道路調査のため虻田から雪の中山峠を越えて、この地にやってきたのが温泉発見の記念すべき年でございます。
温泉の湯量も豊富で摂氏60~80度の熱泉が豊平川の渓流ぞいの56カ所から湧きだしておりそのほとんどが温泉街を流れる豊平川の月見橋付近と高山橋付近に集中していて、川岸や川底の岩盤の割れ目から豊富に自然湧出しています。
その量じつに毎分8600リットル、湧出温度も60~80度と高温で量・質ともに自慢のお湯でございます。
無色透明でまろやかな塩辛さが特徴のナトリウム塩化物泉(中性低張性高温泉)で、国内ではよく見られる泉質のひとつです。
入浴すると肌にこの塩分が付着して、汗の蒸発を防ぎ体の芯からポカポカ温まるのです。
美泉定山

文化2年(1805年)備前国妙音寺繁昌院6代目修行僧の次男として生まれ17歳の時に、全国行脚の修行僧となることを決意しました。
嘉永6年(1853年)美泉 定山は、48歳で北海道に渡り広く布教活動を行っていました。
慶応2年(1866年)61歳の時に小樽の張碓(はりうす)に住み始めました。
張碓では、沸かし湯(現在の銭湯)を営んでいました。
その年アイヌの人達から、傷ついた獣が入って傷を治す川があると聞いて、この地を訪れて源泉を確認したのです。
豊富な湯量に目をつけ、のちに小屋を建て湯治場を開いたのが定山渓温泉の始まりです。
この定山の名をとって定山渓温泉と名付けられました。
湯守廃止後も温泉発展に努力したのだそうですが、経営は苦しかったようです。
定山は、明治11年の大晦日、正月用の門松を取りに山に入ったまま行方不明になったそうですが今でもこの温泉まつりには、旅館の方々が定山の供養をして、先人に感謝しております。
カッパ伝説

温泉郷をとりまく山々は春は桜にコブシの花、岩肌に咲き乱れる初夏のつつし、秋は全山紅の衣につつまれて錦絵を思わせる風景で、奇岩絶壁とマッチして定山漢の名にふさわしいものでございます。
毎年八月の下旬ともなりますと定山漢温泉ではかっぱ祭りが行なわれております。
このかっば祭りは、温泉の上流にある二見岩に残るかっぱの伝説にあやかって創作された面白いお祭りです。
定山渓の渓谷が深まる豊平川は、明治42年銚子の口発電所のダムが完成するまで流れも激しく、山奥から伐採した原木を流送できる程で、深底には大きな川魚が沢山棲息しておりました。
その頃、道路工事作業員の瀬山という青年がこの淵で魚捕りをしていて、足を滑らせたわけでもないのに急に引き込まれる様に川底へ沈んでいったのです。
原木流送中の作業員たちがこれを目撃、すぐ飛び込んで捜したのですが、ついに発見されず死体も上がらなかった。
そして1年、一周忌の夜この青年が故郷の父親の夢枕に立ち「女のかっぱに気に入られて結婚し、今は妻と子供と一緒に幸せに暮らしている」と語ったのです。
青年は、この集落きって美男子と噂されていたので、おそらくこの淵に棲んでいるかっぱの娘に魅入られたのだろうということになりました。
今でもその青年が姿を消した淵を「かっぱ淵」と呼ばれていますが、青年の事故以来ここで遭難する人はいなくなったそうです。
カッパがたくさん

昭和40年(1965年)8月5日、1500の”かっぱ提灯”と”かっぱ祭り”の染めぬき浴衣を着た1500人の人びと、温泉街をあげての大群舞がねり歩き、訪れた観光客を喜ばせました。
これこそが”定山渓かっぱまつり”のはじまりで、生みの親は札幌出身の漫画家大場比呂司でした。
平成3年(1991年)には、20体のメルヘンかっぱがくわわって、さらに温泉に楽しみをそえています。


かっぱ像は札幌市民から募集したアイディアをもとに、観光協会が北海道内外の彫刻家に制作してもらったものです。
温泉街には全部で21もの像が点在しているので散策しながら捜してみるのも楽しいですね。

かっぱ家族の願かけ手湯は、平成13年(2001年)に定山渓温泉街のシンボルとして完成したもので、定山渓温泉開湯150周年を機に、2016年にリニューアルされました。
高さ6mの歓迎塔を兼ねていて、札幌で採掘される地元の札幌軟石(さっぽろなんせき)を使用しています。
源泉からお湯が引かれていて、手湯につかるかっぱ像の皿にお湯を注ぐと、かっぱの口からお湯が流れ出る仕かけの手湯です。
流れ出たお湯で手を清め、二見公園のかっぱ大王の方角に向かい「オン・カッパヤ・ウンケン・ソワカ」と3度唱え願い事をすると叶うといわれています。
時間があったらぜひ試してみてくださいね。

昭和40年(1965年)に始まったかっぱ祭りの中心となるものを作ろうと、おおば比呂司さんのアイディアとデザインで作られたのがこのかっぱ大王です。
昭和41年(1966年)第2回かっぱ祭りの時に現在の場所に設置されました。
♪かっぱ住むとこいい所 山と川とがあるところ かっぱ好きだという人は いいとこある人もてる人と、かっぱ音頭の歌声が渓合にいつまでも響くことでしょう。
かっぽん

定山渓温泉に行くと、よく見かけるこの子は、「かっぽん」です。
本名は「定山河童小吉兵衛」〈じょうざんかっぱこきちべぇ〉
2012年7月札幌市南区長から特別住民票を交付され、定山渓観光協会からは「定山渓温泉PR隊長」に任定山渓のかっぱ淵に住み桶にマイタオルをもちPRに頑張っています。命されました。

ゆめ
皆様お疲れ様でございます。
今回は、定山渓温泉の開祖、美泉定山と定山渓のカッパ伝説をご案内いたしました。
いかがでしたでしょうか?
名残は尽きませんが、そろそろお別れのお時間となります。
お忘れ物がございませんようにご注意ください。
また、元気にお会いできる事を楽しみにしております。
それではその時まで、したっけね~


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