江差町には、「江差の五月は江戸にもない」と謳われるほどのニシン漁で沸いた江戸時代から続くいにしえ街道や姥神大神宮など見どころがたくさんあります。
「かもめ島」では、雄大な自然に囲まれた風景が楽しめます。
島の入り口では、かつての幕末の戦艦「開陽丸」はその壮大な姿を今に伝えています。
また、商家の歴史と伝統が刻まれた「中村屋」や「横山家」などの文化財も、江差の昔ながらの生活や文化を感じることができる貴重な場所です。
今回は、江差町の魅力あふれる観光スポットや江差町で人気のお宿もご紹介します。
江差町のシンボルかもめ島
江差町の中心部から海に突き出した島があります。
かつて、弁天島と呼ばれていましたが、上空から見るとその姿が、かもめが羽を広げた姿に見えるところから「かもめ島」と名付けられました。
この島によって天然の良港が築かれた江差町は、ニシン漁や北前船交易の舞台でした。
江差の歴史はかもめ島から始まったと言っても過言ではないでしょう。
今は、檜山道立自然公園の特別区域に指定され、江差のシンボルとして多くの人に親しまれています。
海抜30m、周囲2.6kmの「かもめ島」をめぐる散策は、30分から1時間30分くらいで回れますから「かもめ島」に点在するスポットをゆっくり楽しみたいですね。
島からの夕日と日本海の眺めは絶景で映えスポットとしても人気があります。
厳島神社
江差の街から島に向かうと海の中に赤い鳥居が見えてきます。
「かもめ島」にある、「厳島神社」の鳥居です。
この厳島神社は、昔は弁天様と呼ばれていましたが明治元年(1868年)に今の名になりました。
弁財天がまつられ、縁結びの神様として有名です。
この神様は非常にケチな神様で、出稼ぎ人が金を頑張って蓄えても、それを使い果たしてしまわないと、故郷へ帰ることを許さなかったといいます。
もし、無理やり帰った場合は、その途中で祟りがあったといわれているんですよ。
瓶子岩 (へいしいわ)
厳島神社の鳥居のすぐ近くに水中から面白い形をした岩があります。
「瓶子岩(へいしいわ)」です。
瓶子を逆さまにした様な形をしているのでこの名前が付けられました。
瓶子は、お酒を入れて注ぐための容器で、徳利と同様の用途があります。
胴が太く首が細くくびれた壺のような形をしています。
瓶子岩に伝わる伝説です。
今から500年もの昔、様々な予言をするひとりの姥がおりました。
あるとき、姥はかもめ島で翁から小さな瓶を渡され、教えられたとおり瓶を海に投げたところ、江差にニシンが群来るようになったのです。
この瓶が石と化して海上に現われ、瓶子岩になったと伝えられ、姥は人々から折居様と呼ばれ神のようにうやまわれていました。
毎年7月の第一土日に開催される「かもめ島まつり」は、この岩で行われます。
「瓶子岩」にかけられるしめ縄の架け替えが行われます。
町内の若者たちが岩の上に登り、全長30mにおよぶしめ縄をしめなおします。
江差町 かもめ島 キャンプ
「かもめ島」の上には、無料で利用できるキャンプ場があります。
島の上あるキャンプ場までは、徒歩で階段を上がることとなりますので荷物を運ぶのはちょっと大変です。
でも、その苦労をするだけの価値のある、すばらしい景観を眺めることができます。
見渡す限りの海の絶景と夕陽を楽しむ人たちに人気です。
「かもめ島」キャンプ場
利用料金
無料
受付
予約・受付等は行っておりませんので、ご自由にご利用ください。
規制事項
北海道自然公園条例の規定により、指定された植物の採取又は損傷が規制されています。
バーベキューコンロの使用
地面に直接炭等が落ちないコンロであれば使用可能です。
但し、炭や灰も含めて必ずお持ち帰りください。
禁止事項
次の行為は禁止しています。
・直火
・花火
その他
排水詰まりの原因にとなりますので、洗い物の際は、生ごみ、炭などが流れないようご利用ください。
また、ゴミ類は各自で必ずお持ち帰りください。
「かもめ島」で楽しむアクティビティ
かもめ島では、無料キャンプ場の他にも有料でグランピングやキャンプなど「アウトドア」を楽しめたり、SUPや釣りなどの「アクティビティ」を楽しめます。
詳しくは、こちらからご覧ください。
「かもめ島」マイリビング 公式ホームページ
江差町 幕末の軍艦といわれた「開陽丸」
江差町には、激動の幕末に存在した軍艦「開陽丸」の復元記念館があります。
「開陽丸記念館」は、幕末の歴史を体感できる魅力的なスポットです。
この記念館は、1868年に座礁した幕府軍艦「開陽丸」を復元し、その内部を見学できる貴重な施設です。
「開陽丸」は、文久3年(1863年)から約3年かけてオランダで造られ、慶応3年(1867)年3月に日本に到着しました。
それから徳川幕府の旗艦として働いていましたが、幕末の戊辰戦争(ぼしんせんそう)で幕府が力を失った後、徳川の家臣たちは開陽丸を奪って北海道へ逃亡します。
明治元年(1868年)11月、榎本武揚は開陽丸で箱館に入港して五稜郭に入り、 松前から江差へ進軍する陸兵を援護するために、開陽丸は江差沖に到着しますが、15日夜半に暴風雪のため座礁、約10日後に沈没してしまいました。
沈没から100年以上たって、昭和50年(1975年)から始まった海底遺跡の発掘調査により、海底からさまざまな遺物が引き揚げられました。
開陽丸記念館では、遺物約33000点のうち、約3000点を展示しています。
大砲や拳銃、医療品、食器、間違えられた葵の紋など、興味深い遺物がたくさんあります。
また、操舵室や大砲などがリアルに再現され、子どもから大人まで楽しめる体験型の展示が魅力です。
江差の「かもめ島」に停泊する開陽丸の姿は圧巻で、写真撮影にも最適です。
歴史ファンだけでなく、観光客にもおすすめのスポットになっています。
開陽丸記念館入場料など
入館料
大人500円
小中高生250円
(15人以上は1割引)
開館時間
9:00~17:00(券販売は16:30分まで)
休館日
4月~10月 無休
11月~3月末 月曜日・祝日の翌日
(但し祝日が月曜日の場合翌日と翌々日が休館)
12月31日~1月5日 年末年始休館
住所
北海道檜山郡江差町字姥神町1-10
電話
0139-52-5522
江差町の文化財「中村家」「横山家」
江差町 中村家
旧中村家住宅は「いにしえ街道」に面した緩やかな斜面に、「主屋」「文庫倉」「下ノ倉」「ハネダシ」という4棟が一列に連なっています。
「主屋」と「文庫倉」は明治20年(1887年)ごろ、「下ノ倉」は江戸時代末に建てられました。
「ハネダシ」は昭和56年(1981年)に完成した修復建物です。
この建物は、明治時代は近江商人の大橋宇兵衛が所有していましたが、大正4年(1915年)に同じ近江出身の中村米吉が譲り受けました。
越前石を積み上げた土台に、ヒノキアスアロ(ヒバ)を主材料にした切妻造りの二階建ての建物で、江差の商家建築の代表的な造りを見ることが出来ます。
昭和46年(1971年)12月28日、国の重要文化財に指定されました。
昭和49年(1974年)に中村家から江差町へ建物が寄付されました。
中村家見学
開館時間
■9:00~17:00
入館料
中村家単独入館券
大人300円/小中高100円
15名以上の団体は、大人270円/小中高90円
共通入館券
「旧中村家住宅」「旧檜山爾志郡役所(江差町郷土資料館)」「旧関川家別荘」の3施設共通入館券
大人500円/小中高150円(団体割引はありません)
駐車場
無し
江差町 横山家
横山家は初代から数えると200年以上続いている旧家です。
初代は天明6年(1786年)現在地において漁業、商業、回船問屋を営んでいました。
現在の建物は今から約160年前に建てられた家屋で、昭和38年(1963年)に道の文化財指定を受けました。
母屋と四番倉にはニシン漁全盛期のころに使用されていた生活用具などが陳列されていて、当時の暮らし振りを今に仕える貴重な建物のひとつです。
建物はウナギの寝床形式で、入口から帳場、居間と続き、通り庭を通る人がよく見えるための横座があります。
昔から地震の多い地域だったことから、多少の揺れも吸収する遊びのある構造になっていますが、そのため冬は家の中でも寒さが厳しいといいます。
倉は1番倉から4番倉まであり、倉に雪や風から守るための「のざや」という屋根がかかっています。
昔は非常に火事が多く、防火用のわらじ、飛び口、ポンプ、バケツ等がたくさん残されています。
火事の時にお金を持って逃げるための桐でできた背負い金庫なども現存しています。
横山家では明神丸(みょうじんまる)という船を持っていました。
北前船は大きいので沖に停泊させ、小さな船に荷物を移して、はね出しまで荷物を運んでいました。明治のはじめの頃は、このような商家が軒を連ねて並んでいましたが、今ではここ1件だけになってしまいました。
それだけに、往時の江差の姿を今に伝える貴重な建物です。
横山家住宅見学
住所
江差町姥神町45
電話
0139-52-0018
時間
9:00~17:00
定休日
なし(冬期は予約制)
入館料
大人300円
ニシンそばのルーツ
京都名物として知られる「ニシンそば」は、かつて江差から北前船によって日本海を経由して、周山街道、若狭街道のニシンロードで運ばれたニシンで作られたものです。
北海道の「にしんそば」のルーツは、江差町でニシン漁が栄えたころの網元「横山家」に伝わるレシピだといわれています。
江差町の人気ホテル
江差町の観光にぴったりの人気ホテルをご紹介します。
この「ホテルニューえさし」は、いにしえの町江差町で35年も続く老舗ホテルです。
高台にあるこのホテルからは、眺望もよく海に沈む夕景がステキです。
このホテルの総合評価は「3.25」です。( 評価詳細は こちら>> )
いろいろな口コミは、こちらからご覧いただけます。
また、「ホテルニューえさし」に宿泊するなら「楽パック」のプランが便利です。
交通費込みのお得なパックなので、旅行全体が格安で行けますよ。
江差町の観光スポットまとめ
江差町には、「江差の五月は江戸にもない」と謳われるほどのニシン漁で沸いた江戸時代から続くいにしえ街道や姥神大神宮など見どころがたくさんあります。
江差町の中心部から海に突き出した島がは、「かもめ島」です。
昔は、弁天島と呼ばれていましたが、上空から見るとその姿がかもめが羽を広げた姿に見えるところから「かもめ島」と名付けられました。
海抜30m、周囲2.6kmの「かもめ島」をめぐる散策は、30分から1時間30分くらい
厳島神社やキャンプ場などがあり、島に点在するスポットをゆっくり楽しみたいですね。
島からの夕日と日本海の眺めは絶景で映えスポットとしても人気があります。
島には、昔は弁天様と呼ばれていた厳島神社があり、縁結びの神様として有名です。
海の中にある赤い鳥居も素敵で、周りの景色に溶け込んでいます。
厳島神社の鳥居のすぐ近くには、水中から面白い形をした岩があります。
瓶子岩(へいしいわ)です。
瓶子を逆さまにした様な形をしているのでこの名前が付けられました。
毎年7月の第一土日に開催される「かもめ島まつり」は、この岩で行われます。
「瓶子岩」にかけられるしめ縄の架け替えが行われます。
町内の若者たちが岩の上に登り、全長30mにおよぶしめ縄をしめなおします。
「かもめ島」には、無料で利用できるキャンプ場があります。
島の上あるキャンプ場までは、徒歩で階段を上がることとなりますので荷物を運ぶのはちょっと大変ですが、その苦労をするだけの価値のある、すばらしい景観を眺めることができます。
見渡す限りの海の絶景と夕陽を楽しむ人たちに人気です。
また、無料キャンプ場の他にも有料でグランピングやキャンプなど「アウトドア」を楽しめたり、SUPや釣りなどの「アクティビティ」を楽しめます。
江差町には、激動の幕末に存在した軍艦「開陽丸」の復元記念館があります。
「開陽丸記念館」は、幕末の歴史を体感できる魅力的なスポットです。
1868年に座礁した幕府軍艦「開陽丸」を復元し、その内部を見学できる貴重な施設です。
「開陽丸」は、徳川幕府の旗艦として働いていましたが、幕末の戊辰戦争(ぼしんせんそう)で幕府が力を失った後、徳川の家臣たちは開陽丸を奪って北海道へ逃亡します。
あの榎本武揚や土方歳三などが開陽丸で箱館に入港して五稜郭に入ったのです。
松前から江差へ進軍する陸兵を援護するために、開陽丸は江差沖に向かいましたが暴風雪のため座礁、約10日後に沈没してしまいました。
沈没から100年以上たって、昭和50年(1975年)から始まった海底遺跡の発掘調査により、海底からさまざまな遺物が引き揚げられました。
開陽丸記念館では、遺物約33000点のうち、約3000点を展示しています。
江差町は、古き良き北前船文化が息づく町。
中でも「中村家住宅」と「横山家住宅」は、江差の歴史と生活を感じられる重要な文化財です。
中村家は北前船の船主として栄えた家で、歴史的な建物や展示物から豪商の暮らしを垣間見ることができます。
一方、横山家は伝統的な建築様式を残しつつ、町民の暮らしを伝える貴重なスポットです。
江差の魅力と歴史の深さに触れる文化財を訪れてみませんか。
京都名物として知られる「ニシンそば」は、かつて江差から北前船によって日本海を経由して、周山街道、若狭街道のニシンロードで運ばれたニシンで作られたものです。
北海道の「にしんそば」のルーツは、江差町でニシン漁が栄えたころの網元「横山家」に伝わるレシピだといわれています。
今回は、「江差町」の観光スポットをご紹介しました。
伝統あるスポットを見ながらいにしえの町を楽しんでください。
また、観光をする拠点に人気のホテルもご紹介しましたので、のんびりと歴史に触れてください。
「江差町」を訪れるときには、参考にしていただけると嬉しいです。