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鮭が帰ってくる札幌の母なる川・豊平川の歴史と今の様子花火大会など

ガイド歴20年 ゆめ
ガイド歴20年 ゆめ

今回は鮭が帰ってくる札幌の母なる川、豊平川についてご案内いたします。

秋には、たくさんのサケが遡上、市民の憩いの場にもなっている川です。

準備が出来ましたら出発いたします。

発車オーライ!!

豊平川

札幌市の中央を流れているこの川は札幌の母なる川、豊平川です。

札幌市と千歳市の境界にある小漁山に源流を発し、定山渓にある豊平峡ダムに入り、札幌市内をゆったりと貫流してまいります。
札幌中心部にはいると川幅も随分大きくなってきます。
札幌中心部の20キロメートルほど下流で北海道の母なる川、石狩川に合流したあと、日本海に注ぐ長さ72.5キロメートルの石狩川水系の一級河川でございます。

アイヌの人たちは、その様子をサッ・ポロ・ペツ(乾いた大きな川)と呼び、これが「さっぽろ」の地名語源となったのでございます。

市街地にある河川敷は、豊平川緑地と名付けられレクリエーションとかスポーツ、散策等の憩いの場、そして釣りを楽しむ人や親子の水遊びの場などとして、札幌市民に親しまれているのです。

昔は、日本の大都市に流れ込んでいる川としては、珍しいほどの急流でしたが、
幾度の改修工事が行われ、今では川の姿もすっかり近代的な都市河川にかわっております。

豊平川花火大会

毎年、7月の最後の金曜日に豊平川で花火大会が行われています。
夏の世の花火大会ですから浴衣を着た人など大勢の人で大変な賑わいです。

打ち上げ場所はこちら↓

豊平川と鮭

鮭は、冬の間に川で生まれ春になると海にでます。
海に出た後は、日本の沿岸にしばらくいますが、その後オホーツク海にいきます。
秋になるとオホーツク海からベーリング海に向かいます。
そして、ベーリング海とアラスカ湾を行ったり来たりして、3年以上5年くらいたったものが自分が生まれた川に戻ってくるのです。
産卵のためですがどうして自分の生まれた川が分かるんでしょうか?
まだはっきりしたことはわかっていませんが、臭いを感じて、生まれた川の臭いが分かるんじゃないかという説もあります。

豊平川は江戸時代には、鮭の漁場で沢山の鮭が捕たそうですが、捕りすぎると当然数は少なくなり、明治時代には、資源保護のために禁漁とされました。

明治12年(1879年)は、最初の稚魚の放流が行われました。

本格的な鮭増殖事業、は昭和12年(1937年)から昭和28年(1953年)まで行われていましたが、人口の多い札幌市排水によって水質悪化のために、事業は中止されました。
川の水が汚すぎて豊平川に上る鮭は、全くいなくなったのでございます。

その後、1970年代に入り徐々に水質が回復してきました。
でも、川はきれいになったのになぜか鮭は戻りませんでした。
昭和49年(1974年)からは、なんとかサケ豊平川に戻ってきて欲しいと「カムバックサーモン」という市民運動が始められました。

昭和59年(1984年)に札幌市豊平川さけ科学館が作られ、放流事業を引き継ぎました。

そうして、昭和60年(1985年)には、やっと自然産卵も確認されるようになったのです。

札幌市豊平川さけ科学館

札幌市豊平川さけ科学館はサケや水辺の生きものを身近に感じてもらおうという施設です。

サケの自然界での姿など鮭について詳しく学ぶことができ、秋になると豊平川に帰ってくる鮭や、その産卵の様子も間近見ることができます。

冬から春にかけては、サケの卵や孵化の様子、稚魚の群れなどを観察でき、この稚魚を春になったら子供たちと放流するのです。

さけ科学館では、鮭のほかに、世界のサケの仲間がおよそ20種類と、豊平川に生息している魚・ザリガニ・カエルなどおよそ30種類が飼育されていて、常時展示されています。

秋になったら豊平川に掛かる橋からそっと川底を覗いてみてください、必死に上流に向かう鮭の姿を見ることができるでしょう。

ガイド歴20年<br>ゆめ
ガイド歴20年
ゆめ

皆様お疲れ様でございます。

今回は、

鮭が帰ってくる札幌の母なる川、豊平川についてご案内いたしました。

秋には、たくさんのサケが遡上、市民の憩いの場にもなっている川です。

いかがでしたでしょうか?

名残は尽きませんが、そろそろお別れのお時間となります。

お忘れ物がございませんようにご注意ください。

また、元気にお会いできる事を楽しみにしております。

それではその時まで、したっけね~

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