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天人峡温泉の奇跡!柱状節理と羽衣の滝に魅了される観光

天人峡は、東川町中心部から約30kmの場所にあります。
忠別川のほとりには、天人峡温泉の一軒宿「天人峡温泉 御やど しきしま荘」があります。

周りは奇岩絶壁の柱状節理に覆われた景勝地です。
天人峡温泉を起点とする遊歩道を川沿いに歩くと、羽衣の滝まで行くことができ途中には、涙岩や見返り岩があり、羽衣の滝からさらに上流には、「東洋のナイアガラ」と称される幅広な敷島の滝があります。

「天人峡温泉 御やど しきしま荘」おすすめホテル
天人峡温泉 御やど しきしま荘
壮観な峡谷に包まれるように佇むお宿。山・海の幸、温泉露天風呂で非日常の癒しを。/車で旭川空港/40分 旭川市街/60分 美瑛/40分 旭山動物園/50分  東川町中心地/35分
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★の数(総合): 4.69
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風光明媚な景勝地で温泉もある天人峡は、「羽衣の滝」を中心に柱状節理の奇岩絶壁に名前が付けられたものもあり、見どころがたくさんあります。
今回は、天人峡の柱状節理や羽衣の滝と羽衣伝説。
周りの岩についてなど詳しくご紹介しますね。

天人峡温泉 柱状節理

天人峡の柱状節理はどうしてできたのでしょうか?
自然の力には今更ながら感嘆するばかりです。

この岩石は溶岩ではありません。
たたくともろく割れる溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)といって、もちろん噴火によって噴出したものですが、軽石や火山灰がおたがい熱いうちにくっつきあって硬く固まりそれが急激に冷えてくると、体積の収縮度合いによっておたがいに引き合い、いろいろな形に割れ目ができます。
割れ目が縦に発達した場合は柱状節理
横に発達した場合は横臥柱状盤状節理ができるのです。

大雪山の中央に位置する御鉢平で約3万年も前に、カルデラを形成した火山活動によって、大量の火山噴出物が放出されました。
それが、北東の層雲峡と南東の天人峡の谷間を埋め、平らな台地になったのです。
柱状節理の断面には、四角、六角、不規則な変角形などがあり、今の大雪山ができる以前に押出された、熱い軽石や火山灰が冷えるときに作られたものです。
冷えて固まる時に、体積を収縮させ四角形や六角形の柱状の形を作りました。
これは一度の噴火ではなく、いくつかの噴火によってできたことが、溶結凝灰岩の冷え方からわかっています。

火山噴出物の厚さは、最大で200mにもなり、それから一万年以上をかけて河川による浸食によって天人峡と層雲峡が形成されました。
溶結凝灰岩の大地の上に現在の大雪山の峰々が噴出したものと言われています。

天人峡温泉「羽衣の滝」

天人峡温泉から忠別川に沿い、桂やオヒョウダモ、イタヤなどの森林を縫いながら約700メートルほど遊歩道を歩くと「羽衣の滝」があります。
忠別川の支流アイシポップ沢川と双見川の水が落下してそれぞれの滝となり、二条の滝が空中で1本に合流し、標高1000mの高さから流れ落ちる滝。
七段になって落下する優美な姿は、日本一の名瀑ともいわれています。
日本の滝百選にも選ば、落差は270メートルにも達しその落差は北海道では第1位、国内では第2位の滝です。

この滝は、明治34年(1901年)に発見されましたが、そのころは夫婦滝と呼ばれていました。
落下する音は、思いのほか静かでさらさらと流れ落ちる姿は美しく、大正7年(1918年)に文人である大町桂月により、景観の素晴らしさと水の流れが天女の羽衣を思わせることから、「羽衣の滝」と命名されたと言われています。
昭和26年(1951年)9月6日北海道史跡名勝天然記念物に指定され、「羽衣の滝」にちなみそれまで松山温泉と言われていた温泉が天人峡温泉と名付けられました。
平成2年(1990年)4月28日には、 「 日本の滝百選 」のひとつに選ばれました。

特に紅葉の時期には、周囲の木々が赤や黄に色づき、滝と紅葉が一度に楽しめることから、多くの観光客で賑わいを見せます。

羽衣伝説

その昔、天人峡の近くの東川という集落に弓人という心優しい若者がいました。
ある日、父に命じられて狩りの修行にいきました。
ところが修行先で油断した際に山賊に襲われ、大切な弓を盗まれてしまったのです。
失意の弓人は細い滝のそばに湧く温泉を見つけました。
疲労困憊の体で湯につかっていると体の奥底から力が湧いてきました。
元気を取り戻した弓人は、若い娘のすすり泣く声に気が付きます。
その声は山賊に羽衣を盗まれ天の国に帰れなくなった天女のものでした。
「かわいそうに。なんとか羽衣を取り返してあげよう」と、弓人はこっそり山賊の隠れ家に近づき、山賊たちの飼っている大切な馬にブドウのツルで大きな木の幹を巻き付かせ、あたかも人が乗っているように見せかけて馬を山に放しました。
すると酒に酔っていた山賊たちは誰かに馬が盗まれたと思い慌てて追いかけていきました。
弓人はその隙に羽衣を取り戻すことができました。
その羽衣を天女に返してあげると、そのお礼にと天女は美しい羽衣の舞を披露しました。
するとなんと今まで細い流れだった滝が羽衣の形をした大きな滝に姿を変えたのです。
やがて天女は弓人に別れを告げ、天の国へと戻ったという「羽衣伝説」が残されています。

天人峡の羽衣の滝付近の遊歩道

2013年(平成25年)5月に北海道東川町の天人峡で大規模な土砂崩れが起こりました。
大量の土砂や大木のため遊歩道や展望台が壊滅的なダメージを受け、復旧工事のため長らく通行止めになっていました。

2018年(平成30年)6月11日に5年の歳月をかけて、整備された新たな遊歩道が開通しました。
もちろん観賞台もリニューアルされて、渓谷美や羽衣の滝の美しさを楽しむことができます。

天人峡 羽衣の滝 駐車場

天人峡の「天女の足湯」の横には、公共の駐車場があります。
駐車料金は無料で、トイレもありますので利用する人も多いです。
「羽衣の滝」へは車では行けませんので、公共駐車場に車を止めて歩きましょう。
またここは、トムラウシ方面への登山口になっています。
収容台数は30台です。

天人峡の観光スポット

天人峡には、奇岩絶壁の柱状節理などの見どころがたくさんありますのでご紹介します。

敷島の滝

「羽衣の滝」から900メートルほどの忠別川上流には、東洋のナイヤガラといわれる「敷島の滝」があります。
敷島の滝は、荘厳な感じのする滝で「羽衣の滝」の女性的なあでやかさとは、また異なる良さがあります。

見事な滝ですが、2013年(平成25年)5月大規模な土砂崩れ以降この滝へ続く道が、遮断されてしまいましたので、羽衣の滝から先の遊歩道は通行止めになっています。

それでも果敢にアタックする人もいるようですが、途中にガケ・岩場や倒木などもありしっかりした登山の装備が必要です。
最後には、沢を渡らなければ敷島の滝は見えませんのでここで断念する人が多いです。

遊歩道の開通見通しは、全くたっていません。

滝見台

滝見台まで行くと、羽衣の滝の全景を見ることができます。
こちらは、遊歩道とは違いしっかり、トレッキングシューズを履いて登りましょう。

公共の駐車場向かい側にある「軽登山コース」「トムラウシ登山道入り口」の看板から登り始めます。
登り始めると、結構急な坂道が続きます。
この坂は「三十三曲り」とも呼ばれ、33回ある狭くて急なカーブを登る坂です。
標高850mの台地に出てからは、ゆるやかな登りになり約15分ほどで滝見台に着きます。
滝見台からは落差270m北海道一の落差を誇る「羽衣の滝」が正面に見え、晴れているとその奥に標高が2291メートル、北海道一の標高を誇り万年雪をいただく「旭岳」を一望できます。
また、「羽衣の滝」忠別川から、さらに上流にある「敷島の滝」もここから見ることができるという絶景スポットです。

見返り岩

羽衣の滝の向かいに突き出ている一本の岩。
天女が天の国に帰る途中に、この岩の上で振り返り弓人にお礼を言って帰っていったといわれる岩です。

涙岩

忠別川をはさんで目の前にいつも濡れている珍しい天然の一枚岩があります。
岩の隙間から染み出した水が岩肌をつたって、泣いているように見えることからこの名が付きました。
常に濡れている大絶壁の一枚岩は、天女が羽衣を取られて泣いていた時の悲しみが、今もなおこの岩を濡らしていると伝えられています。

七福岩

天人峡を代表する奇岩「七福岩」は、針の様に尖った七つの岩が天に向かって立ち並んだ壁岩。
まるで七福神を思わせるような7つの連なる岩は撮影スポットとしても人気があります。

天人峡の柱状節理や羽衣の滝などのまとめ

天人峡は、東川町中心部から約30kmの場所にあります。
忠別川のほとりには、天人峡温泉の一軒宿「天人峡温泉 御やど しきしま荘」があり周りは奇岩絶壁の柱状節理に覆われた景勝地です。
羽衣の滝や涙岩・見返り岩などの柱状節理や「東洋のナイアガラ」と言われる敷島の滝などたくさんの見所があります。

この岩石は溶岩ではなく、たたくともろく割れる溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)といって、軽石や火山灰がおたがい熱いうちにくっつきあって硬く固まったものです。
急激に冷えると、体積の収縮度合いによっておたがいに引き合い、いろいろな形に割れ目ができ、柱状節理横臥柱状盤状節理ができるのです。
大雪山では、約3万年も前に、カルデラを形成した火山活動によって、大量の火山噴出物が放出され、それが、北東の層雲峡と南東の天人峡の谷間を埋め平らな台地になったのです。
柱状節理の断面には、四角、六角、不規則な変角形などがあり、今の大雪山ができる以前に押出された、熱い軽石や火山灰が冷えるときに作られたものです。
いままでいくつかの噴火によってできたことが、溶結凝灰岩の冷え方からわかっています。
火山噴出物の厚さは、最大で200mにもなり、それから一万年以上をかけて河川による浸食によって天人峡と層雲峡が形成されました。

天人峡温泉から忠別川に沿い、約700メートルほど遊歩道を歩くと「羽衣の滝」があります。
標高1000mの高さから流れ落ちる滝は、七段になって落下する優美な姿は、日本一の名瀑ともいわれています。
日本の滝百選にも選ば、落差は270メートルにも達しその落差は北海道では第1位、国内では第3位の滝です。
明治34年(1901年)に発見されましたが、そのころは夫婦滝と呼ばれていました。
大正7年(1918年)に文人である大町桂月により、景観の素晴らしさと水の流れが天女の羽衣を思わせることから、「羽衣の滝」と命名されたと言われています。
昭和26年(1951年)9月6日北海道史跡名勝天然記念物に指定され、「羽衣の滝」にちなみそれまで松山温泉と言われていた温泉が天人峡温泉と名付けられました。
平成2年(1990年)4月28日には、 「 日本の滝百選 」のひとつに選ばれました。
「羽衣の滝」には、山賊に羽衣を盗まれ天の国に帰れなくなった天女の羽衣を弓人が羽衣を取り戻してあげると、細い流れだった滝が羽衣の形をした大きな滝に姿を変えたという「羽衣伝説」が残されています。

2013年(平成25年)5月に北海道東川町の天人峡で大規模な土砂崩れが起こりました。
大量の土砂や大木のため遊歩道や展望台が壊滅的なダメージを受け、復旧工事のため長らく通行止めになっていましたが、2018年(平成30年)6月11日に5年の歳月をかけて、新たな遊歩道が開通しました。

「天女の足湯」の横には、公共の駐車場があります。

敷島の滝は、「羽衣の滝」から900メートルほどの忠別川上流には、東洋のナイヤガラといわれる「敷島の滝」があります。
敷島の滝は、荘厳な感じのする滝で「羽衣の滝」の女性的なあでやかさとは、また異なる良さがあります。
2013年(平成25年)5月の大規模な土砂崩れ以降この滝へ続く道が、遮断されてしまいましたので、羽衣の滝から先の遊歩道は通行止めになっています。

落差270m北海道一の落差を誇る「羽衣の滝」が正面に見え、晴れているとその奥に標高が2291メートル、北海道一の標高を誇り万年雪をいただく「旭岳」を一望でき滝見台
天女が天の国に帰る途中に、この岩の上で振り返り弓人にお礼を言って帰っていったといわれる見返り岩
天女が羽衣を取られて泣いていた時の悲しみが、今もなおこの岩を濡らしていると伝えられている涙岩
七福神を思わせるような7つの連なる七福岩などの観光スポットがたくさんありますので、大自然の中の絶景をおさめてくださいね。

高山植物が咲き乱れ、たくさんの湖沼、きれいな滝とまさに神々が遊ぶ庭大雪山連峰。
旭岳と天人峡の2つのシンボルがある街、東川町は見所満載の観光地です。
まとめ記事を書きましたのでご覧ください。

北海道東川町の魅力を巡る旅!旭岳・温泉・東川観光スポット・天人峡
北海道のほぼ中央にある東川町は、東部は日本国内最大の山岳公園「大雪山国立公園」の一部で全面積の70%は森林です。 北海道の最高峰大雪山の旭岳・柱状節理の見事な天人峡の二つのシンボルのある街です。 アイヌの人たちは、大雪山を「カムイミンタラ」...

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