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樺太が見える稚内公園の氷雪の門・百年記念塔・公園にある像乙女の碑

稚内は海岸線に沿った細長い街で、うなぎの寝床などと形容されています。
平地に恵まれていませんので、海浜の埋立てと共に裏山の利用が進められました。

稚内公園も丘陵を利用していて造られたものです。
約45.2ヘクタールの面積があります。

稚内公園の道路は急こう配でカーブも多いことから、冬期間は通行止めとなります。
でも景観も良く樺太までも見ることができますので稚内市民をはじめ、多くの観光客が訪れる観光スポットになっています。

今回は、賑わいを見せる稚内公園について。
公園は、どんなところなのか?
どんなものがあるのか?など詳しくご紹介します。

稚内公園ってどんなところ

「稚内公園」は、昭和29年(1954年)に開園した、市街地を一望できる高台にある公園です。

公園内には樺太に骨を埋めた方々の慰霊と、平和への願いをこめて建てられた「氷雪の門」。
「さようなら、さようならこれが最後です」の悲しい別れを告げて散った九人の乙女の像。
南極・観測に活躍して.躍有名となりました樺太犬の記念碑があります。
また、展望施設と郷土資料館が一緒になった「開基百年記念塔」や樺太(現・サハリン)や南極観測で知られる犬ぞりの訓練地にもなった所から、樺太犬にまつわる記念碑もあります。 

春には桜の花が咲き稚内市随一の桜の名所になっています。
東に声間、宗谷岬方面を、又北方には宗谷海峡の彼方に異国樺太の山影を望むことができます。

稚内公園から見る夜景もきれいで最北の夜景スポットとして人気があります。
稚内市内はもちろんの事、遠く利尻礼文島の町明かりも眺められる夜景は見事です。
平成30年(2018年)には、稚内公園からの夜景が「日本夜景遺産」にも登録されました。

稚内公園人類永遠の平和を願う氷雪の門

氷雪の門は高さ10メートル、門型二本の自然石の台座の間に、人類永遠の平和を願う女体プロンズ像が建っています。
正式名称を「樺太島民慰霊碑」といいかえらぬ樺太への望郷の念と、かの地で没した幾多の同胞の霊を慰めるために、全国にいる旧樺太在住者の切なる思いをこめて昭和38年(1963年)地元の樺太関係者の手で建立されたものです。

女体プロンズ像は、故・本郷新氏制作のもので望郷の門と女人像からなる慰霊碑です。

「人々はこの地から樺太に渡り、樺太からここへ帰った
戦後はその門もかたく鎖された
それから18年、望郷の念止みがたく樺太で亡くなった多くの同胞の霊を慰めるべく、肉眼で樺太の見えるゆかりの地の丘に、木原豊治郎氏、笹井安一氏の熱意と、全国樺太連盟の賛同、並びに全国からの心あたたまる協力によって、ここに記念碑を造る
氷と雪のなかで、きびしく生き抜いた人々を象徴する女人像、望郷の門、霊石を三位一体とする彫刻家本郷新先生の力作がここに出来上がった
この記念碑を氷雪の門と命名した」と記してあります。

稚内公園開基百年記念塔

「百年記念塔」は稚内市の開基百年を記念し、昭和53年(1978年)7月完成致しました.
海抜170メートルの所に建っています。
1、2階は鉄筋造の「北方記念館」郷土および樺太関係の資料が揃っています。
塔の高さ80メートルございますが、70メートルの所にガラス張りの展望台があります。
展望台からは、南に広大なサロベツ原野。
西は利尻・礼文の展望。
そして北は宗谷海峡を隔ててサハリンの島影を見ることができます。
360度の大パノラマが海抜240メートルの展望台から見渡せ、稚内ならではの景観は圧巻です。

稚内公園交換手の彫刻が掘られる九人の乙女の碑

昭和20年(1945年)8月15日の終戦の直後、樺太在住の婦女子は内地に引き上げることになりました。
真岡郵便局も女子職員に引き上げを説得しました。
でも交換嬢20人のうち9人は踏みとどまり8月19日から夜間勤務につきました。

終戦5日後の20日早朝には、隣村の蘭泊村の監視哨からソ連艦隊移動の情報が入り、各方面への連絡で追われていました。
しかしまもなくソ連部隊の上陸が始まり攻撃が開始されて真岡郵便局にもソ連軍が迫ってきたのです。

9人の交換嬢は、もはやこれまでと覚悟を決め隣の泊居局に「これが最後です、皆さんさようなら」の連絡をして、用意の青酸カリで自決したのです。

9人の死の状況は、受話器を耳にかけたままキーを握りしめていたと伝えられており、戦争の巻き起こした悲惨な話として残されています。

この乙女の碑は、昭和38年(1963年)8月15日に除幕、交換手のレリーフと9人の名前が刻まれ、最後の言葉になった『皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら』の文字が刻まれています。ています。

稚内公園付近の美味しいもの

稚内公園付近にある美味しいものをご紹介します。

はるき茶屋

塩味でしじみがたっぷり入ったしじみラーメンが人気のお店。
しじみのだしがしっかりで魚貝系スープは最後まで飲み干す人が多いです。
定食もあるのでご飯食べたい方もいいですね。

御菓子司 小鹿

名物は流氷まんじゅう!
日本最北端の宗谷岬に流れ入る「流氷」をイメージしました。
スポンジケーキをホワイトチョコレートでまるまるコーティングしています。
食感がよく美味しいと大人気です。
ケーキなどもたくさんありますので覗いてみてくださいね。

付近のホテル

稚内のホテルをご紹介します。

ホテルサハリン

客室はオーシャンビュー♪
お部屋から間宮海峡に昇る朝日を見てリフレッシュ。
窓に広がる景色は絶景です。

景色がきれいだと、口コミもたくさんあります。

ホテルサハリンはこんなホテルです。

 

HOTEL TRUNK WAKKANAI

温泉大浴場のあるホテルです。
炭酸水素塩泉 ナトリウム・塩化物強塩泉は、ぬるぬるの気持ちのいい温泉。

オーシャンビューのお部屋だとサハリンが目の前に。
お部屋もきれいだと評判ですよ。

稚内公園のまとめ

「稚内公園」は、昭和29年(1954年)に開園した、市街地を一望できる高台にある公園です。
春には桜の花が咲き稚内市随一の桜の名所になっています。

稚内公園から見る夜景もきれいで最北の夜景スポットとして人気があります。
稚内市内はもちろんの事、遠く利尻礼文島の町明かりも眺められる夜景は見事です。
平成30年(2018年)には、稚内公園からの夜景が「日本夜景遺産」にも登録されています。

氷雪の門は高さ10メートル、門型二本の自然石の台座の間に、人類永遠の平和を願う女体プロンズ像が建っています。
正式名称を「樺太島民慰霊碑」といいかえらぬ樺太への望郷の念と、かの地で没した幾多の同胞の霊を慰めるために、全国にいる旧樺太在住者の切なる思いをこめて昭和38年(1963年)地元の樺太関係者の手で建立されたものです。

「百年記念塔」は稚内市の開基百年を記念し、昭和53年(1978年)7月完成致しました。
360度の大パノラマが海抜240メートルの展望台から見渡せ、稚内ならではの景観は圧巻です。

昭和20年(1945年)8月15日の終戦の直後、樺太真岡郵便局も女子職員に引き上げを説得しました。
しかし9人は踏みとどまり8月19日から夜間勤務についたのです。
終戦5日後の20日早朝には真岡郵便局にもソ連軍が迫ってきたのです。
9人の交換嬢は、もはやこれまでと覚悟を決め隣の泊居局に「これが最後です、皆さんさようなら」の連絡をして、用意の青酸カリで自決したのです。

乙女の碑は、昭和38年(1963年)8月15日に除幕、交換手のレリーフと9人の名前が刻まれ、最後の言葉になった『皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら』の文字が刻まれています。

このように稚内公園には、樺太と悲惨な戦争にまつわる展示物や記念碑が多数あります。
稚内に行きましたらこの、稚内公園にも足を延ばしてください。

その時には、旅の参考にしていただけたら嬉しいです。

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