

皆様、今回は、北海道の開拓時代の礎になった屯田兵のお話をいたしましょう。
北海道開拓の恩人ともいえる屯田兵、夢を抱き北海道に渡ってきた屯田兵の歴史とその苦労などもお話ししたいと思います。
発車オーライ!!
屯田兵
屯田兵制度と申しますのは、その昔北辺の守りとして北海道の警備に当たりながら、同時に開拓の鍬を振るうという兵農一致の精神に基づいた北海道開拓時代独特の制度でございます。
屯田兵の歴史

明治8年(1875年)から35年までの28年間、総計7.337戸の屯田兵家族が本州各地から遠くは四国・九州の果からも全道にわたって入植してきたのでございます。
交通の便利な今のような時代とは違い、一家をあげて熊の住む北海道へ移住するということは仲々大変な決心であった事と思います。
当時兵舎を400戸建てる中、200戸だけをその頃小樽にありました北海商会が請け負ったのですが、全ての物資、食料の輸送は馬でしかできない頃でおまけに道は悪く輸送困難で、時々お米や味噌の切れることがありおかゆや囚人のつくった芋で命をつなぐような事もありました。
移住すると同時に移住手当と鍋・釜など日用品の一切から、7年間は食料も無料でした。
それで、米が切れると配給になるのは馬鈴薯・・・五升芋ばっかり。
朝、五升芋の食事を済ませ、五升芋の弁当を持ち、黒いラシャ服にわらじ脚絆履き、赤い帽子にゴボー剣を下げた一家の主人が毎日鉄砲を肩に担いで中隊本部まででかけ「道は。630里、長門の浦を船出して」と唱いながら、オイッチニー々々と訓練をして歩いたのでございます。
笑い話ではなく、毎日おいもばかりでは、これもなかなか辛かったと思います。
「屯田兵どうしようもない。朝いも、昼いも、晩もいも。五升いも何度食うのかい、それでも鉄砲持てるのかい」と唱ったり「どうもいも腹で今日は、鉄砲が少々重うござる」「さよう、どうもいもいもしい事でござるな」などと会話がかわされたそうでございます。
また家に残った家族は、いもやおかゆを食べながら一生懸命荒れ地の開墾に従事したのでございます。
最初は。一町五反(1.5ヘクタール)を政府からもらい、それを耕し終えますとその中から五反だけ政府に返し、また新しく一町五反もらい、下士官は七町五反(7.5ヘクタール)まで、兵隊は五町まで無料でいただくことが出来たそうです。
北海道の開墾

しかし、開墾の苦労は並大抵ではなかったと思います。
熊や狐が歩き回る原始林に入って木を切り倒し、根を掘り荒地を開いていく事は、余程の忍耐や、強い意志がなければ出来るものではありません。
この様にひらけた所を見ますと屯田兵の話も夢の様でございます。
こうして入植した人達は、札幌地方・根室地方・上川地方の三ヶ所に分かれてそれぞれの地方の開拓に当たりました。
気候の良い本州から来た人たちばかりですから、家族部隊は下駄履きでカラコロと船から降りたそうです。
昼なお暗い原始林を見て一時は、あまりにも大きすぎる自然と変化の激しい気候に「早う帰してくれ」と泣き叫び、中には信玄袋を抱えたまま動かない人もいたそうでございます。
黒い軍服にいかめしいヒゲの大隊長はや隊長は、「何も心配するな、食べるものも家も農具も全部用意してある、サアー向こうを出るときの決心を忘れずに行こうなぁ。婆さん私についておいで」一人ひとりサアーサアーと肩を叩いたのでございます。
本当に心温まる風情ではございませんか。
そして部隊は熊笹を分けて奥地の堀立小屋に入り、一週間に2回は一家の主人も軍服を着て銃を持ち演習に出かけたのでございます。
入植してまずやることは、政府からもらった一町五反(1.5ヘクタール)の土地の開墾。
大木の生い茂る土地を年寄も子供も力を合せて開墾し、手にはみるみる豆が出来、顔は日焼し風にさらされて、いつしか入植した当時の姿は何処へやら全くの別人のような姿になっていました。
棲んでいる家も、堀立小屋ですから隙間だらけ暖かい夏はまだしも、冬になると隙間から雪が入り、朝目が覚めたら体の上に雪が積もっていたこともあったようです。
勿論、今のような暖をとるようなストーブは、当初なかったでしょうから寒さとの戦いもあったでしょう。
そして一年、二年と苦労して開拓した土地もだんだんと豊かになり、馬鈴薯、豆類が稔り、家も大きくなり、ランプも灯される様になりました。
大隊長は時々廻りに来て、ある時は馬からおりてお爺さんや子供達と一緒にトウモロコシを食べる事もあったそうでございます。
主食は主に玄米、馬鈴薯、エン麦で「屯田兵どうして食う、いも堀って食う、それで鉄砲持てるかい」などと云われていたのでございます。
こうして稔り豊かな農村地帯を眺めながら、血の汗を流して開墾に刷んだ先人をしのぶ時、又新たな感慨を呼び起すのでございます。

ゆめ
皆様お疲れ様でございます。
今回は、北海道の開拓時代の礎になった屯田兵のお話をいたしました。
北海道開拓の恩人ともいえる屯田兵、夢を抱き北海道に渡っ
ってきましたが、厳寒の中での開墾は本当に過酷なものだったでしょう。
屯田兵のお話は、いかがでしたでしょうか?
名残は尽きませんが、そろそろお別れのお時間となります。
お忘れ物がございませんようにご注意ください。
また、元気にお会いできる事を楽しみにしております。
それではその時まで、したっけね~


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