
名鏡といわれる洞爺湖。
その湖の中央にぽっかり浮かぶ「大島」「観音島」「弁天島」「饅頭島」の4つの中の島。
また温泉街のはずれにある「珍小島」について詳しくご案内いたします。
名鏡といわれる洞爺湖
洞爺湖は、支笏湖とともに支笏洞爺国立公園の中心となる湖です。
周囲43㎞、湖の深さは、183メートルで支笏湖、摩周湖に次いで北海道では3番目、全国でも6番目の深さです。
また、洞爺湖の透明度は14mほどで中島付近では、湖底の流木がはっきりと見られるほどのきれいな水です。
この湖は、今から11万年余り前に羊蹄山が噴火したときに陥没してできました。
その中央が溶岩円頂丘として中の島ができたものと考えられています。
湖の中にはほぼ中央に中の島が浮んでいて、空の上から見ると丁度ドーナツのような丸い形をした湖なんですよ。
普通北海道の湖は、冬になると凍ってしまいます。
しかし洞爺湖は、支笏湖とともに北海道の厳しい寒さの中でも湖面が凍ることのない「不凍湖」として知られています。
お天気のいい日には「羊蹄山(ようていざん)」の美しい姿が見れます。
「羊蹄山」は、その姿が富士山に似ているので「蝦夷富士」といわれています。
湖の南西部には、温泉郷洞爺湖温泉があります。
湖畔には、ホテル、旅館、土産品店が軒を連ね、静かな中にもにぎわいを見せています。
また、夜になると湖水に映える向洞爺の灯りがとてもきれいです。
温泉街の灯りも反射して、いつまで眺めていてもあきないほどの夜景を楽しむこともできます。
1981年(昭和56年)から毎年、花火大会が行われています。
時間は、20:45~21:05までの20分間です。
毎日、洞爺湖の空に大輪の花火がうち上がります。
中央に浮かぶ中の島

湖の真中に浮ぶ四つの島々は大島、観音島、弁天島、鰻頭島(まんじゅうじま)と呼び、合せて中島、又は中の島と呼んでおります。
大島
中の島の中でも一番大きな島が大島です。
周囲14.5㎞、湖面からの高さは300メートルあり、7つの峰からできています。
大島には洞爺湖温泉からの遊覧船が発着する船着場があります。
洞爺湖温泉から30分弱で行くことができますで多くの方が湖上遊覧を楽しんでいます。
この島は大昔から人々が生活していたといわれ、二千数百年前の先住民族の遺物なども発掘されています。
アイヌの人々は「トー・ノキシ・ヌプリ」と呼んでおりました。
古事記にも阿部比羅夫がエゾ討伐の際、逃れたアイヌの含長が″キムント・ウンクル″として代々この島に住んでいたと語られ、、源義経が″キムント・ウンクル″の子孫に助けを求めましたが恩を果せなかった悲しいお話も残っております。
また、この島には、徳川幕府が文字の知らないアイヌの人達のために、文筆の神として天満宮を祭ったこともあったそうです。
1957年には、観光資源として雄のエゾ鹿1頭、1958年に雌1頭、1965年に妊娠したメス1頭の合計3頭導入されました。
初めのうちは、この鹿たちの可愛さが中の島のシンボルといわれていました。
しかしこれが、増えに増え今では島の森林が食害で、消失した植物など植生の大きな変化が発生しています。
鹿の好きな植物はなくなり嫌いなフッキソウとハンゴンソウなどが繁茂しています。
この大島には、昔から大きなワシが島の主として住んでいるということです。当地の鳥類研究家のお話によりますと、シベリヤから渡って来たものらしく、その数も増えているそうです。
「本当に島の主はお前か?」と、たずねると、「ワシジャ」と答えるそうですが、ちょっとあてにはならないようですね。
観音島
大島のすぐとなり三角の形をした小さな島が、観音島です。
アイヌ語で「カムイ・チセ・モシリ」といい〝神のいる島〟という意味です。
円空上人は、寛文のころエゾ地と交通の要所であった青森県の二厩に、まず義経寺を建て、それから北海道(エゾ地)に渡り、この島に草ぶきの家を建て、アイヌの人達に宗教を伝えたとされており島には、ナタ作り観音が安置されております。
又一説には、肉親の兄頼朝に裏切られエゾ地に渡ったと伝えられる一世の風雲児、義経が一度この島に渡り、島の大曾長であった、アイヌの″ポロユク″の助けをかり、 一旗挙げようとしたのですが、断られ淋しく島を去りました。
このことをふびんに思った円空上人が義経供養の観音像を祀ったと伝えられております。
弁天島
観音島のとなりにある平な島は、弁天島です。
アイヌ語で「トップモシリ」と呼んでいて〝2つある島〟または〝竹のある島〟という意味です。
安政年間、三田弁六という人が厳島神社を建て、さらに昭和14年再興された朱塗りの厳島神社には、縁結びの神、弁天様が琵琶を弾いているお姿がおまつりされており「あなた100まで、わしゃ99まで、共に白髪の生えるまで」と、御利役があるといいですね。
鰻頭島(まんじゅうじま)

ひとつ離れた小さな島が饅頭島です。
アイヌ語で「ポンモシリ」と呼んで〝小さな島〟という意味です。
この島には、青大将がたくさん棲んでいることから蛇島とも呼ばれております。
珍小島
洞爺湖の温泉街のはずれにある「珍小島」以前は、湖面に浮かぶ小島でした。
平成12年(2000)3月27日の有珠山の噴火によって、洞爺湖畔に砂州でつながった島です。
「珍小島」は周囲約200メートル、面積約2000平方メートルの小さな無人島です。
最高標高84.1メートルですが、洞爺湖の標高が84メートルですので、湖面から1メートルほどの高さしかありません。
付近の湖畔は「珍小島公園」として整備されています。

この、「珍小島」
漢字で書く分には何の抵抗もありませんが、ガイドのように声に出して説明しなければならない時には、いささか厄介な名前でした。
「ちんこじま」するっというようにはしていましたが、必ず引っかかる方が出てきます。
若い時には、やっぱり恥ずかしかった!
テレビ番組などの珍地名なんかに出てきたこともありましたね。
2000年の有珠山噴火では地盤変動がこの珍小島周辺にも及びました。断層跡が現在も公園内の段差として保存されいます。
そのため洞爺湖有珠山ジオパークのジオサイトとなっています。
中の島の伝説
中の島には、次のような伝説が残されておりますのでご紹介いたします。
その昔、松前の殿様につかえていた、えらいお侍さんがおりました。
そのお侍さんには、二人の息子があり、兄はもの覚えが非常に良かったのですが、弟の方はいくら努力しても読み、書き、ソロバン、武道がまるで駄目でした。
ある日、父親は弟を呼び「お前は、身体も人一倍立派で容貌もすぐれているのに、もの覚えが悪く役に立たず家の恥だ、また殿様にも申し訳ないので父が切腹するか、お前が家をでるしかない」と話したのです。
彼は、家の者につらい思いをさせたくないと、よそへ行って努力したら新しい道がひらけるかも知れないと思い家を出たのです.
何日かたって、大きな川のほとりにいた時のこと、自分と同じ年頃の立派な青年に出合いました。
若者は、にこやかに挨拶して、ふところから手紙のようなものを出して読むように進めたのです。
すると彼は、「字が読めないばかりに家を出て、悲しい旅をしているのに、人を馬鹿にするのもほどがある」と、カンカンに怒り、さしていた刀を抜いて若者に切りかかりました。
でも、どうしてか勝負がつきません。
すると若者は、また、にこやかに笑って彼に近ずき「この川の神に聞けば、どうやらあなたは、私と同じ身の上のようです。実は、神様が虻田の湖(洞爺湖のこと)の中央を守るため、私達を選んだのです。
それも初めから親達に知らせると反対されるので、神様の手で二人を無能者にみせ、ここで合わせたのです」と、いって手紙を手渡しました。
半信半疑で若者のいうことを聞いていた彼は、手にした手紙を開きますと、覚えていないはずの字がスラスラと読むことができたのです。
それから、二人の若者は、虻田の湖のほとりで仲なおりをして″御神酒″をくみかわしますと、不
思議に神通力がついて、人間の国も神の国も良く見えるようになったのです。
そこで、飲み終った徳利を湖に投げると、たちまち2つの小島ができました。
彼等は、できた小島に渡り、力を合せ虻田の湖(洞爺湖)の神様となって湖を守ったということです。
洞爺湖と中の島のまとめ
「洞爺湖」は、支笏洞爺国立公園内にあるカルデラ湖です。


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