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稚内市の歴史!旧樺太航路の発着場防波堤ドームと離島を繋ぐフェリー

最果てのイメージがある稚内市
周囲は豊かな海と陸の資源に恵まれ、広大な宗谷丘陵をはじめとする自然景観が魅力的な地域です。
オホーツク海に突き出した岬の町でサファリンまではわずか43キロしかありません。

日露戦争後の大正12年(1923年) 稚内~樺太(サファリン)間に定期航路が開設されてから、樺太との往来が始まりました。
その後、稚内は交通の要所として急速に発展してきました。

流氷が接岸する日本最北端の都市稚内。
日本の一番北にある町だという事はわかりますがどんな町なんでしょうね?
北だから寒くて風が強そう。
冬は真っ白の白銀の世界に変わります。

「稚内市」おすすめホテル3選
ファームイン 悠遊ファーム
静かな環境に建つコテージ☆広々2LK、エアコン・Wi-Fi完備!新鮮お野菜の摘み取りも楽しめます。/JR 勇知駅より徒歩にて10分
コメント数 : 21
★の数(総合): 5.00
ペンション富士門
2023年4月からリニューアルOP!利尻富士を一望できる当宿で 日本最北端の稚内を堪能してください/稚内駅よりお車約10分/バス約20分/自転車約30分
コメント数 : 66
★の数(総合): 4.75
ペンション 亜留芽利亜
宿の前に広がる砂浜と海、夕陽や利尻富士を眺めながらの夕食は格別!稚内の旬を絶景の景色とともに♪/JR稚内駅より宗谷岬行バスに乗車で約35分 稚内駅より車で約25分 稚内空港より車で約10分 宗谷岬まで車で約15分
コメント数 : 60
★の数(総合): 4.70
 
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そんな、最果ての地、稚内の歴史、稚内港について、旧樺太航路の発着場で稚内港のシンボル防波堤ドーム、稚内と利尻礼文をつなぐフェリーについて詳しくご紹介します。

稚内市の歴史

稚内市は、北海道がエゾ地と呼ばれていた頃から、交易の場として栄え、樺太(カラフト)への渡航地として知られる北方圏の玄関口です。

江戸時代の貞享2年(1685年)に松前藩が、宗谷に藩主直轄の宗谷場所を開設しました。
アイヌの人々との交易の場として、また北方警備の要所として栄えてきたのです。
稚内は、アイヌ語で「ヤム・ワッカナイ」(冷たい湧水の出るところ)と呼んでいました。

第二次大戦後不幸にも樺太がソ連邦・ロシア共和国サハリンの領土となり鉄のカーテンの彼方に遠のいてしまいました。
それまで賑やかに五色のテープに色どられた港も船影なく、鳥も通わぬ死の海峡となったのです。
その後北海の荒波にはぐくまれた海の男の手より、北方漁場の根拠地として開発されました。
水産都市稚内の躍進はめざましく『水産』を中心に、『酪農』『観光』を三本柱として飛躍を続けてきました。
昭和24年(1949年)北海道で14番目となる市制が施行されています。

昭和62年(1987年)には、ジェット機による東京直行便が就航しました。
北の観光の玄関口としても賑わっています。

90年代には、この稚内市にロシアの貨物船が大量に乗り入れました。
稚内の町にはたくさんのロシア人が行き来していました。
その頃の名残で稚内の標識や案内板にはロシア語が添えられているんですよ。

稚内市 防波堤ドーム

稚内港

稚内港は、大正9年(1920年)北海道と樺太の連絡港としてつくられ漁港としても重大な位置を占めていました。
昭和32年(1957年)に道北唯一の重要港湾に指定されています。

道北地域における物資流通の拠点、北方漁業の基地、そして利尻・礼文への連絡港として、地域産業の発展に大きな役割を果たしています。

北防波堤ドーム

稚内港のシンボルである「北防波堤ドーム」は、北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていたとき、ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、5年間の歳月をかけつくられた防波堤です。
昭和11年(1936年)に完成しました。

樺太へと渡る人々で賑った頃のシンボルでもあり、古代ローマ建築物を思わせる太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は、世界でも類のない建築物として内外の注目をあびています。

半世紀を経て老朽化が著しかったため、昭和53年(1978年)から3年間、全面的に改修工事が行われ、昭和55年(1980年)にその独特の景観がよみがえり、高さ13.6m、柱の内側から壁までが8m、総延長427m、柱の総数70本、半アーチ式の構造形式の建て物になっています。

平成13年(2001)に北海道遺産に指定されています。

「北防波堤ドーム」を見たら稚内公園にも行ってみて!
歩いて20分くらいで行けますよ。

詳しくは、こちらをご覧ください。

樺太が見える稚内公園の氷雪の門・百年記念塔・公園にある像乙女の碑
稚内公園 氷雪の門,稚内公園 百年記念塔,稚内公園 像

稚内と利尻礼文をつなぐフェリー

ハートランドフェリーが稚内~礼文島・‎利尻島~礼文島 ・利尻島~礼文島を航行しています。
稚内から礼文島まで1時間55分 時刻表は、こちら
稚内から利尻島まで1時間40分 時刻表は、こちら
利尻島から礼文島まで45分   時刻表は、こちら
運賃表は、こちら

地元民、観光客はもちろんの事、生活物資、食料品などを稚内から運ぶ唯一の手立てとなります。
天候によって欠航になることも多いのですが大切な交通路です。

 

付近の美味しいお店

稚内の美味しいお店をご紹介します。

ステーキハウスヴァン

日本最北端のブランド牛、宗谷黒牛が食べれるお店。
宗谷丘陵の牧草で育った宗谷岬牧場で生産される肉牛。
ミシュランガイド北海道版一つ星を獲得しているステーキ店でその味を確かめてください。

付近のホテル

稚内港付近のホテル。
立地がよく駅にもフェーリーターミナルにもとっても近い2件をご紹介します。

サフィールホテル稚内

お部屋が広くてとっても清潔。
ホテルからの景色もとってもいいんですよ。

 

ホテル美雪

お部屋もキレイで景色もいいと口コミがたくさんあります。
スッタッフの方も親切ですよ。

 

稚内市の歴史や港についてのまとめ

稚内市は、北方圏の玄関口です。
第二次大戦後は、北海の荒波にはぐくまれた海の男の手より、北方漁場の根拠地として開発されました。
『水産』を中心に、『酪農』『観光』を三本柱として飛躍を続けてきました。
90年代稚内の町にはたくさんのロシア人が行き来していました。
その頃の名残で稚内の標識や案内板にはロシア語が添えられているんですよ。

稚内港は、昭和32年(1957年)に道北唯一の重要港湾に指定されています。
稚内港のシンボルである「北防波堤ドーム」は、北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていたとき、ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、5年間の歳月をかけつくられた防波堤です。昭和11年(1936年)に完成しました。
樺太へと渡る人々で賑った頃のシンボルでもあり、平成13年(2001)に北海道遺産に指定されています。
古代ローマ建築物を思わせる太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は、世界でも類のない建築物として内外の注目をあびています。

ハートランドフェリーが稚内~礼文島・‎利尻島~礼文島 ・利尻島~礼文島を航行しています。
稚内から礼文島まで1時間55分 時刻表は、こちら
稚内から利尻島まで1時間40分 時刻表は、こちら
利尻島から礼文島まで45分   時刻表は、こちら
運賃表は、こちら

フェリーに乗って海を割って離島へ!
北海道の旅は奥深いですね。

その時には、旅の参考にしていただけたら嬉しいです。

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