

本日は、中山峠頂上からいよいよ札幌市に入りまして定山渓温泉までをご案内いたします。
途中、中山峠を下り豊平峡をご覧いただきながらのコースです。
さて、そろそろ出発のお時間でございます。
準備が出来ましたら定山渓温泉に向かってバスを進めてまいります。
発車オーライ!!
本願寺道路(国道230号線)
札幌から洞爺湖までの国道は、230号線です。
現在のような立派な道路ができる前は、東本願寺というお寺が開削したため、本願寺道路という呼び名で長い間したしまれておりました。
東本願寺が時の朝廷に願い出て許可がおりたのが明治2年(1869年)のことです。
明治3年2月、大谷光螢上人ら一行78人は、京都を出発し函館に上陸したのです。
北海道に渡ってすぐに調査が進められ、工事にかかったのが翌年の春で、わずか一年半で完成するというスピードぶりでした。
東本願寺が北海道に作った道路は、この他三路線で、その中でも札幌から伊達までの区間が一番長く、費用も多く使ったそうです。
その頃、伊達に移住してきたばかりのお侍やアイヌの人達など、約200名の人を使って工事を始めたのです。
明治の始めであり、あまり人の住んでいなかった当時の事、働く人手を集めるのにも大変な苦労があったようです。
お坊さんまでが数珠を持つ手にオノを握り、本を切ったり土を運んだりしたそうで、けわしい山坂、熊や狐も横行する中で、九い頭に汗を流し、衣のすそをまくってモッコをかつぐ姿が見られたとのことです。
約100キロの道に架けた橋が113ヶ所、このために使った費用が1万八千両といいますから、現在のお金にして何億になりましょうか?それも国の費用でなく、お寺が作ったというのですから、驚くではありませんか。
北海道移民をすすめるために、次のような歌が歌われていたということです。
「トトさん、カカさん、ゆかしゃんせ
うまい魚もたんとある
おいしい酒もたんとある
未来往生の親様の
エゾ地へまでも御苦労を
はたからながめていられよか
高き所はさつまいも
低き所は米や麦
心のままの御開拓
お前よければ我もよい
何んの遠慮があるものか
ャヤが出来たらなおよかろ
エゾエゾ エゾエゾ えじゃないか」
このような歌にさそわれて、未開の地、北海道に渡り開拓された祖先の苦労を決して忘れることはできません。
開拓の苦労があってこそ、現在の北海道があるのです。

全長11,124メートルの定山渓トンネルを抜けまして、バスは中山峠を一気に峠を下ってまいります。
国道230号線 中山峠頂上から定山渓までの道
安政5年(1858年)、松浦武四郎が洞爺湖をへて札幌に来たときに、「この川に従い虻田(あぶた)有珠(うす)に道を開かば、その便利いかばかりならん」と、エゾ日誌の中に書いております。
それから120年、この道路は幾多の時代をへて、昭和44年(1969年)秋、観光ルート、高速性と数々の夢をのせ現在の道は開通いたしました。
この道路は、定山漢から中山峠の間延長17・4キロで、以前の道路と比較しますと、距離にしてわずか1キロほどしか短縮されていないのですが、カーブが少なく勾配もゆるく、さらに全面舗装されましたので、時間にいたしますと従来の半分くらいに短縮されております。
それだけに工事も大がかりなもので、近代科学の大型機械が活躍し60億の費用をかけ、全国的に珍らしいカーブのある橋や、なだれ・がけ崩れを防ぐ覆道、外の景色をそこねないようにと回廊など、苦心のあとが各所に見られるのでございます。
豊平峡

豊平峡は、豊平川の上流、定山渓から南へ3キロほど入ったところにあります。
ここは、岩壁が百数十メートルの安山岩で、長い槍を立てて並べたように見え、針葉樹、潤葉樹の入り混った原始林は、大雪山国立公園の層雲峡を思わせ、昔から地獄に通すると、恐れられていた景勝地です。
春、漢谷に茂る広葉樹は新緑に色どられ、秋、紅葉に映える山々に、美しく流れる清流は、支笏洞爺国立公園唯一の渓谷として、特別保護地に指定されております。
豊平川の治水である豊平峡ダムを中心に湖と緑が織りなす雄大な自然の景観美あふれる、札幌有数のレジャー・スポットです。特に紅葉の季節は美しく、林野庁の「水源の森100選」や「ダム湖100選」にも選定されました。
豊平峡ダム

奥深い原始林の中にコンクリートのお城を思わせるところがあります。
そこは百万都市札幌の「水がめ」ともいわれる豊平峡ダムでございます。
昭和42年(1967年)春、札幌市、北海道開発局、北海道電力が共同で建設し、昭和46年(1971年)秋に8億5千万円の工費で完成したものです。
洪水調節、上水道、電源開発の多目的ダムで、特に上水道の水源地としての役割が大きく札幌市の給水需要は豊平川によって98%もカバーされています。
電気自動車
豊平峡では、支笏洞爺国立公園の自然環境保全を考え、昭和51年(1976年)から電気自動車を導入しました。
豊平峡ダム入口から豊平峡園地までは、自家用車で行くことはできません。
電気自動車に乗り周りの自然を楽しみながらのんびりと向かいます。
また、定山渓温泉からのシャトルバスもハイブリッドバスにより運行しています。
電気バスは、現在3代目で豊平峡で5台運行しています。
豊平峡温泉
定山渓温泉からほど近く豊平峡の入り口にある温泉です。
源泉100%かけ流しで、泉質は、ナトリウムカルシウム炭酸水素塩・塩化物泉(重曹泉)です。
湯上りはポカポカ暖まり、肌がすべすべになることから「美肌の湯」と呼ばれています。
露天風呂が有名で200人も入れる日本最大級の露天風呂があり昔は、混浴でしたが今は、日によって男女入れ替えになっています。
露天風呂利用日
無意根の湯 奇数日:男性 / 偶数日:女性
ふくろうの湯、遊湯の湯 奇数日:女性 / 偶数日:男性
それと、外せない名物が本場インドカリー。
カリーの種類も多く、もっちりふわふわに焼きあがったナンと、数十種類のスパイスとたっぷり入った玉ねぎを使用したインドカリーを求めてくる人も少なくありません。
立ち寄った時は、ぜひ食べてみてね!
定山渓温泉

いよいよ札幌の奥座敷、定山渓温泉でございます。
定山漢温泉は、豊平川のほとりに開けた温泉で、札幌より30キロ程の所にございます。
この温泉の歴史は古く、安政5年(1858年)松浦武四郎が道路調査のため虻田から雪の中山峠を越えて、この地にやってきたのが温泉発見の記念すべき年でございます。
慶応2年(1866年)美作国の(現在の岡山県)修験僧・美泉定山が、アイヌの人達から、傷ついた獣が入って傷を治す川があると聞いて、この地を訪れ、豊富な湯量に目をつけ、小屋を建て湯治場を開いたの始まりでこの定山の名をとって定山渓温泉と名付けられました。
湯守廃止後も温泉発展に努力したのだそうですが、経営は苦しかったようです。
定山は、明治11年の大晦日、正月用の門松を取りに山に入ったまま行方不明になったそうですが今でもこの温泉まつりには、旅館の方々が定山の供養をして、先人に感謝しております。

ゆめ
皆様お疲れ様でございます。
今回は、
中山峠頂上から豊平峡を回り定山渓温泉までをご案内いたしました。
いかがでしたでしょうか?
名残は尽きませんが、そろそろお別れのお時間となります。
お忘れ物がございませんようにご注意ください。
また、元気にお会いできる事を楽しみにしております。
それではその時まで、したっけね~


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