

皆様、お疲れ様でございます。
バスはいよいよ札幌市へと入ってきました。
今回は、札幌市についてご案内いたします。
開拓前の姿から現在の様子まで順を追ってお話ししてまいります。
開拓前の札幌市

札幌は、アイヌ語で「サッポロペツ」と呼ばれてました
札幌は今から150年ほど前は、うっそうとした樹木に覆われ昼なお暗い原始林に、熊や鹿、狸等のすむ未開発地帯でございました。
サッポロとはアイヌ語の「サッポロペツ」乾いた大きな川の意味から出たもので、市の中程を流れている豊平川が石狩川に注ぐ川口が大きな湿地帯であったところからこの名が付けられたのでございます。
わずかなアイヌ部落の中に豊平川附近で渡し守をしていた志村鉄一と猟師の吉田茂八という和人の家族7人が住んでいたに過ぎませんでした。
明治時代の札幌市

明治元年、エゾ地と呼ばれていた北海道を国の手で開拓することになり、明治2年(1869年)元佐賀藩主、鍋島直正が開拓使長官として北海道の開拓にのり出しました。
長官は島義勇を開拓判官にし、その年の11月130名の職工と共に銭函の港から札幌に入り、きびしい自然と戦いながら北海道の中心地、札幌の建設が始められたのでございます。
しかし、本州方面と気候風土の違う場所での開拓は大変な事業でした。
未開の地に雄大な札幌建設の計画は、計画通りに行かず島判官は莫大な費用をわずか3ケ月で使い果し、志し中場で判官の職を追われてしまいました。
でも、札幌市の歴史の上には永遠の光となって残っております。
そして、島判官の後を引継いだ岩村判官は、道路を作り橋を架け必要な施設の建設を進め、今の札幌市の形が完成し、移住者も増えてまいりました。
明治4年(1871年)、アメリカ留学を終えた開拓次官黒田清隆が、ケプロンを始め外人技師を伴って帰国し、積極的な建設に取りかかり排水工事、農業指導と改良、創成川の開削などの大工事を進め、さらに官営工場や学校を設置したのでございます。
明治13年(1880年)手宮と札幌を結ぶ鉄道が開通し、さらに21年(1888年)には赤レンガの愛称で親しまれる北海道庁舎が完成しております。
北海道の開拓は、屯田兵とともに進められました。
大正から昭和へと

そのころから札幌郊外、琴似、山鼻、自石に屯田兵開拓者が数多く入植し、名実ともに北海道の政治、経済、文化の中心地となり、大正11年(1922年)市制が施かれたのです。
そして、戦後、豊平、琴似、白石の町と合併し百万都市の仲間入りをしたのでございます。
島判官が雪の広野に開拓の″おの″を打ち込んでから150年、岩村判官が″御用火事″として古い建物を焼き払った街並もビルの林に変り、
昭和47年(1972年)冬期オリンピックの開催され、高速地下鉄や集中暖房の建設なども一気に加速されました。
札幌市今の姿

令和4年6月1日現在札幌市には、986,181世帯1,973,845人を数え、北海道総人口5,157,694人のおよそ三分の一が札幌市に住んでいます。
日本最北の政令指定都市であり、全国の市の中でも横浜市・大阪市・名古屋市に次ぐ4番目の人口を数えるのでございます。
この札幌を初めて訪れる方が一番先に受けられる印象は何んでしょうか?きれいな街路樹と広々とした道路、整った建物から受ける清々しい感じと、どなたもきっと言い合わした様にお答えになる事でございましょう。
明治の文豪徳冨蘆花が、熊とアイヌだけの北海道を胸に描きながら初めて札幌駅に降り立った時、思わず「北海道の京都だ」とさけんでこの町の美しさを賞めたたえたと云われております。
並本の多い真四角にくぎられた京都の街、それにも増して札幌は美しく、行く町、歩む町、全てが整然として緑したたる街路樹に覆われているのです。
テレビ塔の展望台などから見下ろせば、緑のベールに包まれた全市を眺めることができ、西に円山公園、南に中島公園、北はエルムの学園北海道大学にその附属植物園、東に流れる清流豊平川、そして市の中心を芝生や花壇で彩る大通公園など、本当にしばし時を忘れることでございましょう。
札幌市は石狩平野の南端にございまして西南には手稲、藻岩の山々かそびえたち、市内は大通公園と創成川を基準として「東西南北」一定間隔に区画され、 詩情豊かなアカシヤの並木がうるおいを与え、政治、経済はもとより都市の美しさに於ても北海道の首都に恥じない貫録を見せております。
市は消費都市で各商社の本店、支店が数多くあり、工業都市ではございませんが、ビール、乳業、製菓等の工場も幾つかございます。
高層建築が立ち並び地下鉄地下街へと、近代都市札幌からは昔の面影は薄れてきましたが、まだ残っているアカシアの並木、エルムの木立、大道理公園の花壇や時計台の鐘の音とともに詩の都札幌を感じさせます。
北海道の首都″と呼ばれるにふさわしく、まだまだ多くの可能性を秘め近代都市札幌へ刻々と、その姿を変えようとしております。
令和12年(2030年)新函館北斗~札幌間の新幹線開業予定、それに伴い札幌駅の建て替え周辺ビルの再開発などを含め、いま札幌市内では中心部のあちこちで再開発が進んでいます。

ゆめ
皆様お疲れ様でございます。
今回は、札幌市の開拓前の姿から現在に至るまでをお話いたしました。
うっそうとした原始林に開拓者が入り、根の張る大木を1本、1本抜き掘り起こしそれは大変な作業だったと思います。
今現在の姿を見ると、そんなお話も忘れそうになりますが、この方たちの力なしでは今の北海道はなかったでしょう。
名残は尽きませんが、そろそろお別れのお時間となります。
お忘れ物がございませんようにご注意ください。
また、元気にお会いできる事を楽しみにしております。
それではその時まで、したっけね~


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