道内でも人気の温泉地、洞爺湖温泉をご紹介します。
洞爺湖の南側の湖畔にある温泉街は、ホテルや旅館の数も多くお土産屋さんや足湯などがありとても賑やかな温泉街です。
山側には、今なお噴煙たなびく有珠山(うすざん)や昭和新山(しょうわしんざん)などの活火山が続き、「洞爺湖サミット」が行われたり、洞爺湖有珠山ジオパークが「世界ジオパーク」の認定を受けるなど活気あふれた温泉街です。
洞爺湖温泉街について・洞爺湖温泉の泉質・効能など温泉についてのお話しします。
洞爺湖温泉街
この洞爺湖は、四十三山(よそみやま)と湖畔の間にかこまれた温泉街です。
2010年に温泉誕生100年を迎えました。
温泉として発展する以前は、30戸ほどのリンゴ園や麦畑に囲まれた小さな部落で、金比羅神社を祭っていたところから、一時金比羅街とも呼ばれておりました。
しかし、明治43年(1910年)に有珠山が突然爆発、四十三山(よそみやま)の噴火でした。
部落は壊滅状態におちいり、住んでいた人々は、ほかの土地に移ってしまいまたので、ほとんど無人の部落となってしまいました。
明治43年(1910年)四十三山の噴火の時に、付近の湖水温度が24℃を示した場所がありました。
活動終了後の大正6年(1917年)三松正夫さん、杉山春巳さん、安西岩吉さんの3人が湖岸で43℃の源泉を発見しました。
これが洞爺湖温泉誕生の始まりと言われています。
三松正夫さんというのは、後に昭和新山ができた時にこの山を購入した方です。
三松さんたちは翌月、北海道庁から利用許可を受け、同年秋には「竜湖館」という温泉宿を始め、洞爺湖の温泉旅館第1号になりました。
アイヌの人たちは、「トー・コタン」と呼んでいました。
〝湖の部落〟という意味でその後も床丹温泉(とこたんおんせん)と呼んでおりましたが湖名にちなんで「洞爺湖温泉」と改称しました。
この頃から「洞爺湖温泉」は、徐々に開発されていきました。
昭和2年(1927年)には、室蘭本線が開通し、虻田からこの湖畔にも鉄道が敷かれ、次第に人に知られるようになりました。
でも戦争のため鉄道が取りはずされたり、二度も大火にあうなどいく度かの困難を克服して発展してきたのです。
その後、世紀の奇蹟といわれる昭和新山や名鏡洞爺湖の観光価値が高まるに従って、ホテルやお土産店が数多く建ち並び、昭和24年(1949年)、支笏湖を含めたこの辺り一帯が国立公園の指定を受けたのです。
温泉内には、手湯が10ヶ所、足湯2ヶ所あり、多くの観光のお客様が楽しんでいます。
「洞爺湖温泉」の泉質
洞爺湖温泉には源泉の井戸が12本もあります。
深さ60m~150mから汲み上げられて湧出しています。
「洞爺湖温泉」の泉質は、ナトリウム・カルシウム-塩化物泉(中性低張性高温泉)でございます。
色は無色透明でちょっと塩味があります。
「洞爺湖温泉」の効能
人浴しては切傷、神経痛、冷症などに効用があるといわれています。
皮膚の表面を柔らかくさせる作用があり、お肌の汚れや余分な皮脂を洗い流すので肌がスベスベになることから「美肌の湯」と呼ばれています。
また、泉質に含まれる塩化物が汗の蒸発を防ぎ、保温効果に優れているので入浴後も体が温かく感じられます。
入浴することにより皮膚に塩分が付着し、汗の蒸発を防ぐため、保温効果の高い湯で湯冷めしにくいのも特徴です。
2000年の有珠山噴火で泉質の効能が高まったという説もあります。
洞爺湖のホテル
洞爺湖にはたくさんのホテルがありますのでご紹介します。
洞爺湖 ホテルグランドトーヤ
「洞爺湖温泉 ホテルグランド トーヤ」は、ちょっと古いけどキチンお掃除さてていて清潔感のあるホテルでスタッフさんの心使いが素晴らしいとの口コミが多いです。
源泉かけ流しの大浴場には男女ともに「熱めの浴槽」・「温めの浴槽」・「人肌の浴槽」と湯温の異なる浴槽があるので好みで選べますね。
「洞爺湖温泉 ホテルグランド トーヤ」の詳しい内容は、こちらから
洞爺観光ホテル
全館から洞爺湖が見えるオーシャンビューが自慢の「洞爺湖温泉 洞爺観光ホテル」です。
★ちょっと古いけど安さが魅力!
スタッフの方の対応がすごくいいという口コミが非常に多いお宿です。
洞爺湖温泉街のまとめ
有珠山の噴火で温泉が湧きだし100年以上も前から宿ができ、発展してきた洞爺湖温泉街。
今では、人気の温泉街でとっても活気があります。
ナトリウム・カルシウム-塩化物泉(中性低張性高温泉)のお湯は、「美肌の湯」。
切傷、神経痛、冷症などに効用があるといわれていますのでゆっくりはいってリフレッシュしたいですね。
洞爺湖旅行をお考えの方は、参考にしてください。
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